群馬大学 手話サポーター養成プロジェクト室

プロジェクト概要Project

プロジェクトのこれから

第2期事業「聴覚障害に関わる支援人材育成を目的とした遠隔手話教育システムの構築」(2021〜2030年度)で目指すことを、事業代表の金澤が語り手、スタッフの二神(現 日本社会事業大学専任講師)が聞き手の対談形式でまとめました。
この対談は、2021年6月に行われました。

第2期事業目標

二神第1期の事業は、聴覚障害学生の手話通訳ニーズを満たすことと、手話通訳者養成の人材不足そのものを解消するために高等教育機関で学生を養成するシステムの原型を作り上げてきたわけですが、第2期ではどのような事業目標は描いているのでしょうか。

金澤高等教育機関で養成する形での手話通訳の国家資格化と、「手話」の教科化。この2つの制度化を目指し、制度の実現を想定して、そのコンテンツとなる授業を実践しつつ開発します。そしてこれをオンラインで全国から受講できるようにするようにすることです。

第1期のときに、大学で手話通訳者を養成するモデルを群馬大学で作るという目標をたてた。しかし、手話通訳者養成に特化した専攻を立ち上げるというものではなくて、主な学びは別のもの(例えば、教育とか福祉とか)にあるけれど、単位をいくつかとると、手話通訳の資格も取れるという形。で、方法としては、地域の養成講座の基本・応用・実践の単位を落とし込んで。その前に手話習得をしなければならないのでその講義も設けた。その時の思いは、「群馬大学でモデルを確立させると、波及効果で他大学が真似をしてくれる」という発想でした。でも、現実的に考えると、なかなか難しいということがわかってきた。制度上のカリキュラムモデルだけを作ることはできるけれども、大事なのは制度を整えるだけではなくて、実際に効果がある手話の指導法を開発するということ。それも含めて、他大学でも真似ができるようなものを作らなければならないと。ところが、先進的なカリキュラムや指導法を開発すればするほど、「群馬大学だからできた」となるので、そうなると、他所では真似できないというジレンマが発生します。結局のところ、他所も真似してくれるだろうといった「他力本願」的な考えでは、全国の手話通訳者養成は変えられないと思ったわけです。

そこで、群馬大学の授業をオンラインで全国各地で受講できるようにすれば、「他力本願」ではなくて、主体的に全国の養成のあり方を変えることができる推進力になるだろうと考えました。そして、群馬大学以外の人にどうやったら受講してもらえるだろうか、学んでもらえるだろうか、と考えていたところに、期せずして、「コロナ禍」がやってきました。

コロナ禍の前までは、「北海道」や「宇都宮大学」あたりでできないかなと漠然と考えていました。宇都宮大学とは、群馬大学との共同教育学部化が予定されていた(2020年度より開始)ので、栃木県と共同でできるのではと。北海道には「コンソーシアム」があるので、コンソーシアムの加盟大学それぞれで1つずつ講義を立ち上げ、それを共有すれば、コンソーシアム全体で手話通訳養成に関わる授業の開講ができるのでは、ということを、「雑談レベル」で話していました。あくまで雑談レベルです。

それが、コロナ禍によってオンライン授業が求められ、大学の授業をいつでもどこでも見られるようにすることのハードルが一気に下がり、広がった。そこから新規事業の構想を考えるようになりました。

第2期の事業の見通しについて

二神手話通訳の国家資格化と、「手話」の教科化を事業目標とするということですが、どちらも「制度」の話なので、群馬大学の事業としてどう取り組むかのイメージが浮かばないのですが…?

金澤日本の英語教育は、日本国民全員が英語の読み書きができるように、国策として進んだわけです。そのために英語の教科書がしっかり作られて、カリキュラムが作られて、ノンネイティブの英語の先生が教えても、力がつくようにしていった。手話教育についても、これを参考にしたくて。

全国の手話の養成の底上げをするには、群馬大学の講義を開講するだけでなく、カリキュラム・テキスト・教師用指導書・教材の開発を進めていかなければならない。それは、ノンネイティブの聴者でも教えることができるようなシステムを作るということでもあります。ただ、そこで誤解してほしくないのは、ネイティブサイナーが不要という意味では全くありません。ネイティブの存在はとても重要です。しかし、国策として進めていくには、ネイティブサイナーは絶対数が全然足りない。英語教育がまさにそうです。なので、本来の理想形には届かなくても、それなりに成果が上がるような教科書やマニュアルを作っていく必要があるのではないかということです。

それと、国策としての制度化をすること自体は国がすることなので、我々ができることは、あくまで「制度化に向けた実践的取り組み」です。

具体的には、高等教育機関で養成する形での手話通訳の国家資格化と、「手話」の教科化を目指すための実践。もし制度ができたら、このような実践やカリキュラムになりますよ、という実践の見本になるものを作っていく。例えば、公認心理師とか言語聴覚士とか、そういうのは大学での養成のカリキュラムがありますよね。それに沿って実際の養成がされているので。あるいはさまざまな教科を教えるには教員免許が必要で、それは原則的には大学等の養成課程校を経て取得するわけです。その実践の中で求められる授業を開発していき、遠隔で受講できるシステムを作り上げるということです。

手話通訳者養成の制度とは

二神手話通訳の国家資格化と、「手話」の教科化という2つの制度化のうちの1つ、「手話通訳の国家資格化」についてです。これ自体は国がすることということではありますが、今も厚生労働省認定資格として「手話通訳士」はありますし、「手話通訳者」も資格としてみなされているかと思います。それとどう違うのでしょうか。

金澤よく、「手話通訳士・者」という言い方がされますが、「手話通訳者」はあくまでも「都道府県の意思疎通支援事業を行うために都道府県が行う試験があり、それに合格し、採用された人」ということです。養成が都道府県単位で行われているという現状は、それぞれの自治体で養成方法や登録の基準が異なっているといった問題もありつつ、ともかくその「建て付け」を維持し続けて現状が動いている状況です。

国レベルでの資格としては「手話通訳士」のみです。「手話通訳士」を国家資格化させようという動きが運動体の中であることは知っています。ただ、そもそも「手話通訳士」は、「手話通訳技能認定試験」の試験名に示されるように、厚生労働省による「技能認定」の資格なんです。ここが世の中的には十分に理解されていないかもしれないですね。これはいわば、「伝統工芸士」のようなものなんです。つまり、すでに何らかの形で習得した「技能」について認定し、付与する性質のものなので、「社会福祉士」等の、養成の方法も含めて設計される国家資格とは、本質的な「建て付け」が違うんですよね。

一方で、我々の考える「国家資格」というのは、養成校での単位認定を経て取得する資格のことを指しています。医師、看護師、言語聴覚士、公認心理師、社会福祉士などは、専門の養成機関を経ないといけませんよね。そういうイメージです。 第1期では、在学中に資格をとらせるということが目標だったので、現行の制度に沿わせることが必要でした。しかし第2期では、そもそも大学で養成するのであれば、どういう人材なのか、というイメージを明確化していくことが重要だろうと思っています。その参考になるのが社会福祉士等の国家資格取得者ですね。

高校の教科としての「手話」

二神もう1つの制度化が、「手話」の教科化ということですが、これは、聾学校の話でしょうか?それとも通常の高校の話でしょうか?

金澤聞こえる子どもに対する「手話」、ろうの子どもに対する「手話」、どちらも教科も必要だと考えています。そして実は、それぞれの実践例は、学校単位ですでに存在しているんです。「学校設定教科」という形で、「手話」を高校で教えている実践はいくつかあります。これは聞こえる生徒向けですね。一方、ろうの子ども向けは、明晴学園が内閣府特区申請をして「手話科」を設定しています。どちらも重要なのですが、当プロジェクトとして目指すのは、聞こえる高校生たち向けの、選択科目として手話を教科化するということです。

現在、若年層の手話通訳者養成が課題になっている中、「手話通訳者養成」を大学で行う手前に、高校までの学校教育の中で言語としてしっかりと手話を学ぶ機会が提供されているか、という問題があるわけです。各地の手話言語条例では、聞こえる子どもたちへ手話を学ぶ機会を提供するということを謳っていながらも、学校現場の実態としては、小学校の「総合的な学習の時間」として手話の学びを取り上げる程度で、せいぜい年に数回程度。例えばろう者のゲストを呼んで手話を使ってみようとか。あるいは「特別活動(ホームルームや生徒会など)」で、「今月の手話の歌をみんなで歌おう」とか、そういう活動で終わってしまって、体系的な学習になりにくい形になっている。なので、学校教育の場で体系的に手話を身につける機会がほとんどないので、「教科」としての手話が、「選択科目」として用意されれば、手話習得の土台から変わるのではないかと思うんですよ。なぜならば、教科として「手話」を作るとなれば、教科書が必要だし、学習指導要領も必要になります。免許制度も必要となります。ということは、大学における養成方法の検討も必要になります。そうすると、養成に何人の専任教員の配置が必要、といった規定が作られることになる。そうなると手話を専門に研究する研究者が大学で職を得ることができるかもしれない。日本の手話研究が一気に発展します。

だから、実は教科として「手話」を設定するということは、みなさんの想像以上の広がりがあるんです。現在、「学校設定教科」として手話の授業があるということとは次元が違う話なのです。手話研究の中でも、第二言語としての手話習得理論研究という分野が一気に広がるだろうと思います。

聾学校独自の教科ではなく、選択科目「手話」の実現を目指す理由

二神聞こえる子どもたちが学ぶための「手話」という教科を作ることの重要性はわかりました。ただ、一方で、聾学校にも教科としての「手話」が必要なのでは?

金澤特別支援学校の教育は、通常学校に「準ずる教育」を行っています。基本的には、通常学校と同じ教科・領域で授業が行われる。知的障害特別支援学校などで「合わせた指導」はありますが、それとて教科・領域を「合わせる」わけですから。で、それに「自立活動」という特別支援学校独自の領域がある。「聾学校の中でだけ特別に手話という科目を設ける」というのは、学習指導要領の「建て付け」として、議論が進みにくいんじゃないかなと思います。あるいは、できるのかもしれませんが。

それよりは、通常学校に何らかの形で「手話」という教科を位置づけられれば、特別支援学校は「準ずる教育」の考え方なわけですから、聾学校で「手話」という教科を行うことは問題ないということになるでしょう。つまり、高校選択科目「手話」が実現すれば、聾学校で「手話」という教科を設けることもできるだろう、ということです。

「聴覚障害に関わる専門職における手話スキル等の養成・研修」のオンライン化

二神最後に、特別支援学校教員向けの研修として、大学の授業をオンライン化していくことの必要性と方向性について、具体的に。

金澤問題は2段階。1つは特別支援学校免許の構造の問題。高い専門性を身に着けなくても、免許が取れてしまうという問題。もう1つは、聴覚特別支援学校の教員に手話の習得を必須スキルとして求めた場合に、その部分だけで膨大な時間が必要になってしまうという現実。では現場をみてみると、教員の手話スキルが充分ではないために、子どもの学習権が保障されないところは見過ごせないのでなんとかしたい。

今の免許制度は、2つの方法。①課程認定校による免許取得。大学で単位をとって、実習を経て免許を取る。②講習会による免許取得。いわゆる認定講習。これらは必要な単位数が違う。②の場合は、「特別支援学校(聴覚障害)」の2種免許を取ろうと思ったら、「現場経験が3年以上あり、さらに講習会で6単位取得」すればいい。この「現場経験」は特別支援学校でなくてもいい。そして6単位のうち、「一覧:教育制度等」「第二欄:特別支援の種類」「第三欄:その他の障害種(発達障害など)」。なので、聴覚障害の授業は2単位だけでいい。つまり、聾学校経験のない教員が、聴覚障害の専門の授業はわずか2単位だけで、特別支援学校(聴覚障害)の免許が取れてしまうという制度設計に大きな問題がある。そして、聾学校の教員の約半数は聴覚障害免許を持っていないという現実がある。教育行政としては「とにかく二種免許でいいから免許をとらせたい」というところでしょう。

しかし私は、より専門性の高い一種免許や専修免許を取得して、スキルを高めたいと思う先生たちのために、概論ではなくて、特論のような(心理や指導法など)授業を設定して、現場に発信したいと思っています。都道府県レベルでは受講者数も少ないのでインターネット配信で。手話言語を学ぶ授業についても、単に手話を学ぶのではなく、「学校場面で手話をどう使うか」という講義が必要。

2020年度にやってみて、遠隔配信する価値があると実感したのは、「聴覚障害児の心理」。2名体制で実施したこともあり、1回ずつ完結する講義構成になっていたので、たとえば、「認知」のところを知りたい先生はその授業だけ受ければいいし、「ろう重複」だったらその講義だけを受講しても、自己研鑽目的ならば構わない。そしてさらに、オンライン化の良いところは、先生方は聾学校にいたままで、「この時間だけ大学の講義を受ける」という学び方ができるだろうと思います。

毎週、手話習得の研修を独自に開いている学校もありますよね。その研修を、大学の講義に置き換えると、体系的な手話習得が可能になるのではないでしょうか。
そのように考えると、単発で興味のある講義のみを自己研鑽目的で受講するのも良いでしょうし、講義まるごと受講して、聴覚障害の一種免許の取得を目指すのも良いでしょう。さらに夢物語かもしれないけれど、「手話」の科目ができれば、「手話」の免許をとるために、手話そのものを身につけることができるみたいなことになるといいですね。

オンライン授業のようす


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