プロジェクトのこれまで
第1期事業「学術手話通訳に対応した専門支援者の養成」(2017〜2019年度)の振り返りを、事業代表の金澤が語り手、スタッフの二神(現 日本社会事業大学専任講師)が聞き手の対談形式でまとめました。
この対談は、2021年6月に行われました。
事業を始めようと思ったきっかけ
二神この事業は2017年度から始まり、2021年度から2期目に入ろうとしています。今の事業のビジョンを、開始当初から描いていたのでしょうか。
金澤事業申請をしようと思ったのは、2016年の夏くらいでしたかね。聴覚障害学生支援の「行き詰まり感」があったんですよね。つまり、ろう学生の対応を考えたときに、手話通訳で情報保障をしたいと思っても、対応できる人材がいない。なので、【PCテイクと同じように学生の手話通訳者も養成できないか】という発想がきっかけでした。これまでにも、体系的ではないけれど、群馬大学では「手話サポーター」という制度があって、かつて、ろうの同級生との交流の中で手話ができるようになった学生に、体育など実技系の授業のサポートに入ってもらうという前例がありました。ならば、もし体系的に学生が手話を学ぶ仕組みがあれば、常に手話通訳ができる学生を育成して、人材を確保しておくことができるのではないかと考えたのです。
群馬大学の障害学生サポートルームも、本当にろう学生のニーズに応じた支援体制の構築ができているかといえば、危ういところもあったんですよね。在籍するろう学生が少ないからなんとか手話通訳ニーズを満たせているけれど、これ以上増えたら、ニーズ主体の情報保障を提供することができないと。群馬大学ですら、ちゃんと手話通訳ニーズに答えられる体制構築ができていないので、まず、群馬大学で作ってみて、なおかつ他の大学でも真似できるようなモデルを作って初めて、聴覚障害学生支援の次のステージが見えてくるのではと思いました。
群馬大学のろう学生を取材した映像があって、それを見ているときに、ある学部のろう学生が、「先輩が在籍していたときは、全部の講義を手話通訳で受けられていたんですよね」と、すこし羨ましそうに話していたんです。これまですべての講義にPCテイクか手話通訳で情報保障をつけていて、学ぶ環境は十分整っているだろうと思っていたのですが、その映像を見て初めて、「ろう学生に我慢させていたのではないか、潜在的ニーズに応えられていないのではないか」という思いが湧き上がりました。
すべての講義を手話通訳で受講していたその「先輩ろう学生」は、実は大学院生だったので、講義数が学部生に比べてかなり少ない。さらに、当時、大学院には2名のろう学生が在籍していて授業も重複していたところが多かった、対話形式の講義が多く手話通訳のほうが適していたなど、条件も揃っていたため、当時は全ての講義に手話通訳をつけることができたという背景もあるのですが。
大学院と比べて学部の授業はかなり多いですから。やはりPCテイクで対応できそうなところは優先的にPCテイクで、という配置をせざるを得なかったのだと思います。障害学生サポートルームが立ち上がってしばらくの間は、常に手話通訳ができる職員を複数人雇用していたので、ある程度は対応できていたのですが、近年は、聴覚障害以外の障害・ニーズに対応しないといけないこともあり、手話通訳に対応できる職員がいなくなっていったんですよね。
最初は通訳資格のある職員4名体制で回していたのですが、負担が大きかったので、地域通訳者の協力も仰ぐことになったのですが、それも1ヶ月程度で制度的に無理が出てきました。毎日、朝から夕方まで、毎日2時間程度、通訳をする、という前例がほとんどなかったんですよね。なので、実際にやってみたら、すごく手話通訳者に負担がかかるということがわかったんです。当時の職員さんや通訳者さんにはかなりの負担をかけてしまったかもしれません。
一方で、PCテイクの場合は、学生テイカ―のおかげで成り立っていたわけです。この日本財団事業の着想は、PCテイクのこの部分に注目したわけです。授業の内容を知っているからPCテイクの技術さえ身につければ、学生でも文字通訳ができる。ならば手話通訳も同様に、通訳技術はそこそこのレベルであっても、学生さんなので講義の内容がわかっているぶん、手話通訳もできるのでは?という発想から始まったんですよね。まあ、実際はそう簡単ではなかったわけですけど。
(授業風景)
「手話通訳者養成」の課題への注目
二神ということは、当初は聴覚障害学生支援のための人材育成が目的だったわけですよね。ですが、今のプロジェクトの事業は、むしろもっと大きな、「手話通訳者養成」の課題に向いているような気がするのですが。
金澤2016年の10月に日本財団へ助成申請したきっかけには、手話通訳者養成を群馬大学内で行うというビジョンがあったのですが、ちょうどその頃、大学内の聴覚障害学生支援だけでなく、もっと大きな手話通訳者養成の課題があるということに気づいたんですね。
2016年度に全日本ろうあ連盟が請け負った厚生労働省の推進事業があり、そこに私も参加。意思疎通支援事業の全国調査をしました。その調査で、「現行の制度のままだと、近い将来、手話通訳者養成制度そのものが破綻してしまう」という危機的状況にあることが明らかになり、大学等の高等教育機関でも養成しなければならないという結論に至りました。ちょうど障害学生支援のために大学で学生を通訳者として養成しようと構想していたときでしたから、ならば手話通訳養成そのものの課題に応える形で事業を進めようと思いました。
で、大慌てで、日本財団事業の開始前に、厚生労働省の意思疎通支援事業の担当者や、群馬県の障害政策課に、大学で養成した学生を都道府県の養成講座修了者と同等として認めてくれるかどうか掛け合った。
この調整が結構大変でした。厚生労働省は、「都道府県単位で認定している制度なので、自治体の判断に任せます」と。群馬県としては「委託先は情報提供施設ですので、それ以外には認めません」と最初に言われてしまったんですよね。そこで突破口を開いてくれたのが、情報提供施設の担当職員でした。現状の制度を変更することなく、群馬大学で養成を受けた学生が手話通訳者全国統一試験の受験資格を取得できる方法を提案してくれました。つまり、群馬県で養成を修了した者以外でも、国立障害者リハビリテーションセンター学院や世田谷福祉専門学校の卒業生であれば受験資格が得られるので、それらの教育機関と並列して群馬大学を含む、という方法だったら大丈夫ではないか?ということで、調整していただきました。
これまでのことは、内部調整も必要ですから時間がかかります。一方で、当時でもすぐに対応できることもありました。群馬大学で手話通訳者養成講座相当の授業を受けて、次の講座に移る際に、「編入」のような形で続きの群馬県実施の養成講座から受講することでした。 このスタイルはすでに実際に行われていて、例えば、A県で養成講座の「基本コース」を修了した人が、群馬県に引っ越してきた場合、A県の養成講座が「厚厚生労働省カリキュラムで規定している時間数を満たしている」ことが確認できれば、群馬県でその次の「応用コース」から受講することを認めていました。これを応用する形で、群馬大学の授業時間数が厚生労働省カリキュラムの時間数を満たしていれば「編入」できますよ、ということ。このあたりは、情報提供施設の事務レベルの手続きで対応できるわけです。なので、2017年の本事業開始時には、「応用コース」まで群馬大学で修了した場合、その続きの「実践コース」を群馬県の養成講座で受講することができ、これを修了すれば、群馬県が認めている手話通訳者養成講座を一通り修了したとみなされ、「統一試験」の受験資格を付与できるということまでは確認できていました。
まとめると、本事業を日本財団に申請する際の目標は、大きく2つ、①聴覚障害学生支援の手話通訳ニーズを満たすための学生を育成する、②手話通訳者養成の人材不足そのものを解消するために学生を養成する、ということでした。
(発足当時の手話サポーター養成プロジェクト室風景)
プロジェクトの第1期の4年間で実現できたこと
二神2017年度から始まった第1期の事業は、当初予定では2021年度までの5ヶ年計画だったかと思います。それを4年間で終了させ、2021年度から2期目に入ることにしたということは、第1期の事業は全て目標通りに完成した、と考えていいですか?
金澤制度的な部分はねらい通り達成できたかと思います。群馬県の手話通訳者養成の制度に合わせるかたちで認めてもらうことができました。授業を実際に見てもらって、少しずつ理解を広めていき、実現に至りました。現行の制度を変えないまま、それに合わせる形で現行の資格を取得できるようにしたことが大きいかなと思います。地域のろう協とのつながり、理解があってこそできたことですね。
授業については、「今までにない方法」を新たに考える必要があった。つまり、週1回の講義だけで手話という言語を習得すること自体が無謀なことだなと思ったんですね。大学で養成するということを考えると、きちんと第二言語習得理論を踏まえて、カリキュラム開発をしていかなければならないと思いました。で、参考にしたのは、教育学部の英語教育専攻の学生の勉強の方法、授業でした。英語の宿題を山ほどこなして、ネイティヴの先生の講義を、通訳を介さずにそのまま受講することを、1年生のときからやっています。3年生での教育実習では、英語でやり取りできるだけでなく、自分が授業を担当する学年の生徒たちが学習している範囲の英語で授業をしなければならない。なので、地域でよく言われるような、「とにかくろう者と関わりなさい」といった方法は、大学生の教育には合わないと考えました。構文指導がしっかり出来ないといけない。
なので、週1回だけで習得はまず無理なので、「ピアノのおけいこ方式」を思いつきました。ピアノのレッスンの日に初めてその曲の譜面を開く、なんてことはないわけです。家で練習してきて、その練習の成果を先生に披露する。そして、指導を仰ぐ。これと同じこと。課題を出して、家で1週間練習してきて、授業の場で練習してきた手話の確認をする、という方法です。そのために、Googleドライブというクラウドサービスを使って、学生に手話動画の課題を出させました。そのことが結果的に、コロナ禍のオンライン授業のときに活かされましたね。
で、僕の中では、「学生が手話通訳をする際に、こうなればいいな」というモデルイメージがしっかりありました。それは、いわゆる「ろう者っぽい」表現とも違う。「バリエーションが少なくてもいいから、きちんとした手話を」というか。スラング混じりのネイティブの英語ではなくて、誰が聞いてもわかるような、かっちりした表現のイメージ。聾者の表現は確かにモデルにする必要はあるんですけど、でも例えば、日本語学習中の外国の人が、「おめー、マジ、やばくね?」とか言ったら、日本人的に違和感ありますよね。そんな日本語を使ってほしいわけじゃなくて。なんでもかんでもネイティブサイナーの真似をすればよいということではないと思うんですよ。なんというか、「かっちりとした表現」で学ぶことが大事で。
そのためには、構文をしっかり頭に入れておかなければならない。なので、構文の反復練習をさせました。でもその「構文」を指導するためには、着実にステップアップできる教科書が必要だと。英語だと、「This is a pen」が最初に学ぶ構文ですよね。手話だと、何を一番に学ぶべきだろうと思って、色々考えました。英語の教科書を作成をしている英語教育講座の先生に、「なぜThis is a penから学ぶのですか?」と質問したり。当時、「みんなの手話」の監修をしていた金沢大学の武居渡先生に話を聞きに行ったり。そんなことで、制度はすぐに整えていきましたが、カリキュラムは少しずつ考えていった感じです。
「大学生に合った指導法」というのも、進めながら分かってきたところがあります。頭でしっかりと理解して学びたいので、理屈をしっかりと説明できないといけない。なので、「こういう場合もあるし、こういう表現もあるよ」という曖昧な説明ではだめ。こういう表現はこういう構文なのだ、と理由を説明できないとけない。 それから、手話言語学の知識を入れていくうちに、「語学」としての手話を体系的に学ばなければならないと思いました。たとえば、第二言語としてフランス語を習得しようとしたら、「フランス語学」ではなく、「語学」としてフランス語を学びますよね。手話を習得したい学生にとって、「手話言語学」の知識は必ずしも必要ないと思うんですよ。
なので、第二言語習得のためのテキストを作らなければならないと思った。で、2年目の2018年度からは、手話の構文がわかるテキストを作るように、スタッフを増やしました。そのときの「発見」は、最初に教えるのは「アル/イル」だったということ。手話で言う最も単純な構文を見つけた瞬間でしたね。新たに加わってもらったスタッフである、下島さんの発見です。「本がある」は「ホン/アル」に文末のうなずきがあるだけの、おそらく一番シンプルな構文だろうと。で、「おじいさんがいる。けど、おばあさんは、いない。」となると、「オバアサン」のときに、眉上があがる。そんな感じで、徐々に難しくしていくことができるだろうと。で、「やってみよう日本手話(試作版)」ができあがったわけです。
ただ、構文を学習させると言っても、課題が2つあって。1つは、音声日本語にはない、日本手話特有の表現はなかなか身に着けられないということ。うなずきのタイミングとNM表現。うなずきは、どうしても日本語のモーラ(拍)に引きずられるし、NMは微細で聴者にはわかりにくい。そしてもう1つは、覚えた構文が「広がらない」ということ。構文学習中心だと、応用力がなかなか育たないんですよね。覚えた構文を様々な場面で応用させるとか、会話で広げていくことがなかなかできないという課題が残りました。
そこに、2020年になって、中野さんが入ってきて、カリキュラム作成は大きく前進しました。海外の指導法を一通りレビューして、構文習得を体系化させて。特にNMをかなり意図的に、明示的に指導していくこととか、応用力をつけるという点では、“F on F”という方法を取り入れたり。構文を明示し、意識させつつ、自由会話につなげるという方法で1年間進めてきました。
4年間、カリキュラムや指導法については、試行錯誤で進めてきましたが、4年目にして一気にある程度の形になったと思います。もちろんより理想的な形を求めれば、どこまでやってもキリはないのでしょうけれども、手話通訳養成を独立した専攻としない形で手話通訳の資格が取れるモデルを、群馬大学という1つの大学で完成させたという意味で、一応は目的が達成できたかなと考えています。
(授業風景)
コロナ禍でのオンライン、特別支援教育の課題解決のためのオンライン
二神コロナ禍に見舞われた中、全国の大学がオンライン教育を行わざるを得なくなりました。そうした中で、オンラインを活用して特別支援学校教員等の専門職向けの研修につながるような事業を着想したのは、何か背景があったのでしょうか?
金澤群馬大学では2020年4月から、コロナ禍のために、全面オンライン講義ということになりました。とにかくやるしかない。というところから、むしろピンチをチャンスに、と思って、どうせやるなら良いものを、とやってきました。そこから、オンラインでの手話の講義の可能性を発見した感じです。
とにかく、チームで小グループに別れてやらなければならないので、どのスタッフが担当しても均質のものになるように、教材を揃えて、という作業になった。
ただ、オンライン化を意識したのは、コロナ禍に入るよりも前。実は2019年の秋頃からだったんです。認定講習をオンラインでできないかなと考えて。方法をいろいろ調べていました。この日本財団事業のスタッフがいれば、特別支援学校の聴覚障害領域の免許取得のための授業をオンラインで発信する価値があると思ったんです。今、全国的に行われているのは、現役の学校の先生向けの2種免許を取得するのための講座。でもそれではなく、その上の、さらに専門性の高い、1種免許の講習の内容で考えられないかと。もしそれを作るとしたら、他県の先生も受講できるようにしないといけない。とくに「手話」の講義で、もっと専門性の高いもので、というと受講生が県内だとほとんど集まらないから。だから、県外の人も受講できるように、オンラインで授業できないかどうかと思って。それで色々な人に聞いて情報を集めていたんです。それが2019年の秋〜冬でしたね。コロナの直前でしたね、今思うと。で、その矢先、コロナ禍により、4月からすべての授業を遠隔で、となったので、当時考えてきたことはいったん保留になったけれども、講義の一部をオンラインで公開するという動きは始めていたので、結果的にはオンライン化への準備というか、心構えができていた感じです。
本事業を、特別支援学校教員の養成に関連付けようと考えた理由ですが、聾学校の教員の専門性の向上が喫緊の課題だと感じていたからです。そこで、2019年から事業名を変更しまして、「通訳者」だけではなく、(特別支援学校教員なども含めた)「専門支援者」を養成するということに拡張しました。特別支援学校の教員免許取得率の低さは、まず大きな問題として確かにあります。でも、「聾学校の教員が手話ができない」という問題は、特別支援学校の教員免許取得のカリキュラムの中だけでは解決できません。なので、この事業を通して、聾学校教員の専門性の向上につなげたいと思ったのです。で、聾学校教員に求められるスキルや盲ろう者支援のスキルを、「聴覚障害教育演習」のC、D、Eという形で加えていきました。
これからのプロジェクトの展開
二神最後に。第2期の事業で目指すことをまとめてください。
金澤繰り返しになりますが、一番の大きな目標は、手話通訳の国家資格化。これは高等教育機関で養成することが前提です。それともう1つ、同じくらい大きな目標として、「手話」の教科化。これが実現すれば、教員養成大学で手話指導ができる教員を養成することができますし、教科としての「手話」の免許制度ができれば、教科書も必要になるでしょうし、大学教員も必要になりますから、研究も加速化するでしょう。そして、学生を手話通訳者として養成し、活躍してもらえる仕組みをつくれば、当初の目的であった、障害学生支援の人材確保にもつながると思います。
第1期のプロジェクトで、「手話のチカラを、群馬から」というキャッチコピーを考え、その想いで進めてきました。まさにその言葉のごとく、本学手話サポーター養成プロジェクトが、他の大学と連携しあって、この大きな目標が実現できれば、全国の手話教育研究が大きく広がっていくだろうと確信しています。
私たちのプロジェクトメンバーだけでできることは限られています。ぜひとも、多くのみなさまと、連携しあって大きな輪を作り、全国の手話教育、手話通訳養成、手話に関わる専門職のスキル向上などを大きく変えていけたらと願っています。
(2019年度シンポジウム閉会風景)