ろう教員が語る群馬大学の手話・手話通訳教育
「これぞ群馬大学の手話言語教育!」(ベーシックコース)
1.ベーシックコースとは
群馬大学では、履修証明制度を活用し、社会人・学生の方が群馬大学に入学をしなくても、本学の日本手話・手話通訳教育を受講することができる日本手話実践力育成プログラムを実施しています。本プログラムは、文部科学省職業実践力育成プログラム(BP)の認定を受けています。
コースは2つ。手話奉仕員の資格取得ができるベーシックコースと、手話通訳者全国統一試験の受験資格が得られるアドバンスコースです。これらは厚生労働省の手話奉仕員・手話通訳者養成カリキュラムの基準を満たしています。
ベーシックコースは、平日夜間のオンライン授業が週2コマ・120時間、オンデマンド授業が10時間、1年間のコースです。
2.「群大方式」のはじまり
群馬大学の日本手話教育を開発してきた2人のろう者教員。2020年度から「言語としての日本手話」を担当するようになりましたが、初期の頃は何もかもが手探りの状態でした。
3.大人に合った指導と学習
(1)ろう者が使う手話
手話通訳士の資格を取得するまでに平均10年を要するにもかかわらず、日本手話を母語・第1言語とするろう者の手話を読みとること、またろう者にわかりやすい手話で表すことが難しいという通訳者が多くいます。
「毎日走っているけれど太ってしまった」の手話表現を例に、ろう者にとってどこがわかりにくいのか、また日本手話ではどのように表現するのか示します。
(2)知識として学ぶ文法
ベーシックコースで学ぶ聴者は、日本手話を第2言語として学習することになります。つまり、言語獲得の臨界期を過ぎており、また良くも悪くも音声言語の母語・第1言語の影響を受けることになります。「ろう者とたくさん話す」ことは手話言語の習得上、とても大切なことではありますが、それだけでは日本手話を習得することが不可能です。特に音声言語にはない、CL、RS、空間的文法、NMは同時空間的に表出されるため、ろう者とのやりとりを通してその規則に気づくのは大変難しいといえます。そしてろう者とやりとりをするといっても、言語習得の観点からみれば、明らかにインプットが足りません。結果的に、日本語に変換しやすい語彙の知識だけが増えていくということになってしまいます。
ですから、第2言語習得では、大人だからこそできる強みを活かす必要があります。それは、大人は子どもと違って、さまざまな認知能力が高いということ。文法を知識として学べることもその1つです。群馬大学の日本手話教育では、ろう者の手話表現のなかにある文法に気づきを持てるようにするためのブースターとして、文法知識をしっかり学ぶことに力を入れています。
4.言語コミュニケーションの本質をふまえた指導と学習
(1)文法の知識と言語運用
もちろん、文法の知識があるだけでは、日本手話を使いこなせるようにはなりません。群馬大学の日本手話教育が、「文法重視」から「コミュニケーションも文法も重視」に変わっていった背景について話します。
(2)「タスク中心の教授法(TBLT)」の採用
群馬大学の日本手話教育では、「タスク中心の教授法」(Task Based Language Teaching: TBLT)を採用しています。これは、実践的なコミュニケーション活動の中で、主体的に文法にも注意が向けられるようにするものです。
タスクは、言語コミュニケーションの本質を考慮しつつ、協働して意見をまとめたり、説得的な文を産出したり、知的能力を必要とするものであったり、芸術・文学的な手話表現を取り入れたりと、非常にさまざまです。文法については、「◯◯の文型を使った文を作りなさい」ではなく、タスクをこなそうとすると、特定の文法を使いたくなる、使わざるをえなくなる、というふうにしています。そして、全く同じ内容のことを言うにも、受講生の表現はさまざまで、そこから学べることも多くあります。 受講生のみなさんも、こうしたグループワークを楽しみにしています。
(3)「CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)」の導入
群馬大学のカリキュラムや授業づくりの指針となっているのが、CEFR(ヨーロッパ言語共通参照枠)です。言語が使えるとはどういうことなのか、言語を使うのに必要な能力とはどういうものなのか、CEFRの言語能力総観図(下図参照)をみると、それらが見えてきます。1年間の授業の中で、いつ頃、どのようなコミュニケーション活動を取り入れるのか、どのようなタスクを設けるのか、といったことを、CEFRに基づいて計画を立て、B1レベルの途中まで到達することを目指しています。
(4)「一般能力」と「母語」の活用
日本では「手話」という側面だけを取り出して教えることが多いのですが、日本手話も言語の1つ。言語を使うには、(3)で述べたように、さまざまな能力が必要なのです。そして、大人の第2言語習得の強みは一般能力の高さ。これをタスクに反映させていくことを心がけています。
また、カミンズの二言語基底共有説が示すように、学習言語能力(Cognitive Academic Language Proficiency: CALP)は第1言語(日本語)と第2言語(日本手話)の間で共有されています。つまり、抽象的思考力やメタ言語力を伴うようなタスクであっても、苦労せずに使える日本語を活かせば良いわけです。この考え方に基づくのが「トランスランゲージング」(translanguaging)。その人が持っている言語リソースをすべて活かします。タスクについてインターネットで調べたり、メモをとったり、作文の構成を考える、これらは日本語で行い、そのあとで日本手話にして表現する。そのようにすることで、始めから手話で考えるよりも、しっかりした構成を持ち、内容的にも深いことを話せます。
5.ベーシックコースに向いている人
(1)主体的な学び
ベーシックコースの授業は、毎週の宿題に加えて、予習・復習が必要です。1年間でCEFRのB1レベルの途中まで目指しますので、授業の進行も大変早いです。言語は自分で使わなければ使えるようにはなりません。教員頼みで学ぼうとしないでください。そして、言語習得の速さは、個人個人で異なります。これを言語適性と言います。自分の日本手話学習における長所と課題を把握し、学習計画を立てて主体的に学んでいく姿勢が求められます。ベーシックコースでは、具体的な到達目標をもって、それを貫徹するための強い覚悟を持ち、主体的に学ぶ意思のある方を歓迎しています。
(2)日本手話学習のための基礎スキル
ベーシックコースへの出願は、ろう学校教員、手話通訳者、言語聴覚士、社会福祉士、公認心理師、また芸術関係など、職業として日本手話を必要することが動機になる方が多いです。
地域の講習会で手話奉仕員・手話通訳者養成講座を修了された方、あるいはすでに都道府県認定登録手話通訳者の資格を持つ方など、ある程度の手話スキルをお持ちの方は、ベーシックコースとアドバンスコースのどちらが良いのか迷われる場合もありますが、ベーシックコースから始めることを推奨しています。なぜならば、これまで日本手話の文法をしっかりと学び、また学習言語能力や一般能力を駆使するようなタスクをこなす学習をされた経験を持つ方は少ないと思われるためです。
なお、ベーシックコースの選考審査では、日本語の学習言語能力をみるための小論文が課されます。
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